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長男の千代田雄輔(右)は、妻由希子、2歳の息子と長崎で暮らす=2024年9月29日、長崎市、小池淳撮影

 長崎県庁に勤める千代田雄輔(ゆうすけ)(41)には、双子の弟がいる。30年前、3人は暗闇に閉ざされた。

 築27年の文化住宅「弥生荘」は、兵庫県宝塚市の阪急仁川駅の近くにあった。その一室で、当時11歳の雄輔と4歳の双子、シングルマザーの母(32)と長女(6)の5人が暮らしていた。

 そこへ、阪神・淡路大震災が襲う。1995年1月17日、午前5時46分のことだ。アパートは崩れ、6畳間に布団を並べていた5人は全員下敷きになった。

 身動きのできない暗闇に閉じ込められ、雄輔は左隣にいた母の死を感じた。痛みに苦しむ声は荒い息づかいに変わり、やがて聞こえなくなった。

 右隣から双子の弟の泣き声が聞こえた。「ヤスシ! 泣け!」。幼い子の甲高い泣き声なら、がれきの外に伝わると思った。

 弟にその記憶はない。ただ、暗闇に差し込む一筋の光を覚えている。

 双子の兄弟は無傷で助け出された。緊急車両が足りない大混乱の中、大好きなパトカーに乗せられた兄を見て、救急車の弟はうらやましかった。家族を襲った悲劇を、2人は理解できなかった。

 雄輔は首と腰を負傷して病院に運ばれた。

 母と長女の遺体は、毛布にくるまれた。

30年前、突然の大地震で肉親や住まいを失いながら、懸命に生きた人々がいた。当時、朝日新聞記者の取材に応じた家族を再び訪ね、30年の歳月をたどった。

  • 【当時の記事】一家5人がれきの下に 千代田さん一家の1995年

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 母は長崎県の五島列島で生まれ育ち、高校卒業後に関西へ出た。最初の夫との間に雄輔が生まれ、再婚後に長女萌(もえ)と双子の健志(たけし)、康志(やすし)が生まれた。震災前年に再び離婚し、家計は苦しかった。

 正月に兵庫を訪ねた祖母は「もう五島に帰ろやぁ」と声をかけたが、母は「タケヤス(健志と康志)が卒園するまでは」と聞かなかった。別れて9日後、地震が起きた。祖母は今も悔やむ。

 震災後、3兄弟は祖父母に引…

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